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対象思惟思考による現象観察その3

ところで経絡を感知するということとは別の目的で、近年私が取り組んできた事の一つに体の重心線と中心線を意識化し、動き(日常、非日常の不安定な動きを含める)の中で使いこなす、というテーマがありました。その方法としては主に武道、古武道の稽古を参考にしておりました。

このテーマへの取り組みは当初の目的とは別に私自身の内部感覚を敏感にすると同時に他者に対して、以前とは別のある種の違和感を生じるようになりました。

違和感の感じ方は個々によって若干異なりますが、大抵は体のある部分が「気にかかる」という形で現れます。
その違和感が存在する部位は通常の四診によって得られる情報から導き出される異常(変動)経絡と一致している例が多いことに気がつきました。

※この感覚は後日、気や経絡を感知しているのではないということが判明しました。これはまだ「気」と呼べるレベルのものではなく、経筋など物理的な器官を感知しているものと思われます。

これはどういうことかと言いますと、例えばどのような芸事であれ、ある程度のレベルに達した場合、同門の他の方のレベルや好、不調がある程度、見ただけでも、瞬間的に判断できるということに近いかと思います。

その時の判断というのは、自己の中にその芸事の情報技術を意識を含めた全身で把握しているからこそできるわけであり、体全体で感じ取ることができるのだと思います。

つまり自分の中に重心線や中心線が意識化できれば、他人の重心線や中心線のズレなどを鋭敏に察知できるということです。
「気」にも同じことが言えるのではないでしょうか。

もちろん、中心線と気とは違うのもですからこれによって「気」や経絡が実感できるとは言えませんが、この方向性で練習を進めれば、経絡を実感できるその一端が開かれるのではないかと期待しております。

さて、ここで大切なことは五感で感じるのではなく、体全体で感じる必要があるということです。

その事に気づかせていただいた先生の話をさせていただきます。その先生は経絡治療を専門とする鍼灸師です。

先生は治療がうまくいったときには患者の体が輝いて見えると言われました。当時の私にはまったく意味不明でした。

なぜなら、その先生は全盲の方だったからです。

当然、目で見ていたわけではありません。五感以外のなにか、で感じ取っていたのでしょう。では、気や経絡を感覚化するために、ある特定の感覚をシステム化して修得しなければ、気や経絡を感じ取ることができないのかと言われると、そうではないと思います。

一言で言えば、特定の観察方法や、技術が唯一の方法ではないということです。
実際にいろいろな分野の先生方が、さまざまな方法で気を感知する技術を修得されています。

気の感知技術が多種多様にわたる理由として、人は野生動物と違い、生存技術に関する本能情報が退化してしまっているということが考えられます。

ある武術の先生に、人は二足歩行という不安定性の中に安定を求めている、そこから武術の技法が発展しているのだというような事をお聞きしたことがあります。

しかし、よくよく考えてみますと人の不安定性は二足歩行のみならず、多岐にわたっていることが考えられます。
物理的な不安定性のほかに本能という閉鎖回路から自由であるという不安定性、これらが逆に人に文化や技術の発達を促しています。

東洋の文化が自然に身を委ねるという基本思想をもったのは不安定性の中に安定性をもとめた結果かもしれません。

そこから心身不二という観点が生まれ、それを実際の体の感覚として確認するために丹田や気を発明したのではないかということです。

したがって、気や経絡も人為的につくられた記号という一面をもっています。

ですから気の感じ方、言い換えるなら自然への取り組み方は個人個人の感性によって千差万別であり、それぞれが自己の感覚を頼りにつくりあげていくしかないのではないでしょうか。
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プロフィール

仁

Author:仁
会津古伝整体の古式の技法を追求しています。

気の世界に興味をもち、

古伝整体の「見の技術」と「亜脱臼整復技法」の修得を目指しています。

生き残れる整体師を目指して!

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